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評価が二分されているイスコの現状を紐解く~マドリーとイスコの未来は

レアルマドリード
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ファンから愛憎を集めるイスコ

 

現在、イスコを賞賛するマドリディスタと否定的なマドリディスタに二分されているように、私は感じている。まぁ私はどちらかと言うと「現在のイスコ」に関しては後者なのだが…。

 

私はこのブログでイスコには結構辛辣なコメントも残している。ただこの場を借りて断言させてもらうが、私は決して「アンチイスコ」ではない。

 

U21欧州選手権ではイジャラメンディと共に規格外のパフォーマンスを見せ、TVで観ながら「こういう選手達がマドリーにいてくれればな」という気持ちになったのは今でも覚えている。

なので彼がマラガからシティの誘いを蹴ってマドリーに来てくれた時はとても嬉しかった。(この時イスコを誘ったのが現監督のジダン)

 

イスコのプレーの特徴を改めて説明しよう。イスコはイニエスタの後継者と言われる事もあるが、プレースタイルは実際あまり似ていない。左サイドでのプレーを好むという点は似ているが、それだけである。イスコはイニエスタよりもアタッカー気質が強く、得点力もそれなりにある。

だがイニエスタのような意表を突くようなパスセンスもなく、周りを活かすプレーも少ない。何よりボールを持ちすぎるし、インサイドハーフとしてはプレーが自由奔放すぎる。故に代表では左ウイングで起用される事が多い。インサイドハーフとして使われることはまず無い。

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イスコのマドリーでのポジション変遷、頓挫した「セードルフ化計画」

 

ご存じない方達のためにイスコのマドリーでの歩みを説明しよう。最初はエジルが移籍する前だったので4-4-2の左サイドハーフ、エジルが移籍してからは4-2-3-1のトップ下と目まぐるしくポジションが変わった。

しかしベイルがケガから復帰し前線がBBCになったため、4-2-3-1ではうまくいかず結局アンチェロッティは可変式4-3-3を採用。

イスコはトップ下のポジションを失う事になり、自ずと未経験のインサイドハーフに適応する事を余儀なくされた。

 

実際、イスコはアンチェロッティ時代1年目に3センターの適応に苦しんだ。だがアンチェロッテイはイスコとの対話の中で、ミラン時代のセードルフの例を出して機嫌を取りながら、イスコに優しく丁寧に指導し続けた。

だがディマリア、モドリッチという世界最高レベルのMFとのポジション争いには勝てず、このシーズンはベンチに座ることが多くなった。それでもドルトムント戦の1st Legのゴールや、ベンゼマのゴールの起点となったバイエルン戦、国王杯決勝、途中出場したリスボンでのCL決勝、などでは良質なパフォーマンスを見せ、チームに不可欠なピースという事を証明した。

 

次第にイスコは3センターに適応し、14-15シーズンではモドリッチが長期離脱したチームをヘロヘロになりながら、必死で支え続けた。

アンチェロッティ時代のイスコはアンチェロッテイから戦術のイロハを叩き込まれ、無駄なプレーが徐々に無くなって成熟したフットボーラーに成長する前兆を感じさせた。

アンチェロッティが優秀なのは100%戦術で縛るのではなく、「コレとコレは最低限やりなさい、そしたら後は自由にやっていいよ」というふうに、クラック達を戦術の駒として機能させつつ、選手の良さも引き出せる所だろう。

 

CL準決勝ユベントス戦2nd Legでは前線BBC+ハメス、イスコ、クロースというとんでもない布陣で何とかチームを成立させる事に成功したアンチェロッティ。

それにはイスコの成長が大きく関わっていたのは明らかだ。結果はアッレグリに守備の欠陥を突かれて敗退したが、この布陣では守備に欠陥ができるのは致し方ないだろう。

だが順調に見えたイスコの「セードルフ化計画」は頓挫してしまう。そう、それは皆さんもご存知のアンチェロッテイ解任である。これが彼の運命を良くも悪くも狂わせてしまう。

ベニテス時代には右サイドというよくわからない役割を任され、その後にイスコ獲得に大きく関わった 「解放者」ジネディーヌ・ジダンが就任した。

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「解放者」ジダンとの再会

 

ジネディーヌ・ジダンは良くも悪くも「選手の個性こそが最高の戦術」と考えており、選手に制約を一切与えないタイプの監督である。

逆にグアルディオラやモウリーニョは、選手に対して自分の戦術への適応を求めて、それが出来ないならバッサリ切り捨てるタイプの監督だ。

こう聞くと、ジダンのやり方は一人の人間としては正しい気もするが、フットボールの監督としては考え物である。

 

勿論、彼のその選手想いな考え方が、マドリーにCL2連覇をもたらしたのは間違いない。だがこの考え方がイスコに関しては悪い方に出てしまっているように感じる。それが最近のイスコに対する評価が二分されている要因ではないだろうか?

 

ジダンはイスコの事を「ストリートのようにプレーするから好きだ」と言う。これはお世辞ではなく本音なのだろう。実際にピッチ上でイスコはそういうプレーを見せる。だが果たして彼の「ストリートサッカー」は今のマドリーに必要なのだろうか?これが私がこのコラムで言いたい事である。

 

ジダンやイニエスタやは数秒先を見据えてプレーする「プレービジョン」と驚異的な技術を持ち合わせていた。イスコは技術はあるが、ジダンやイニエスタのような「プレービジョン」は持ち合わせていない。即興的に自分の技術で状況に対応しているように見える。そしてそれはまさに「ストリートサッカー」的なプレースタイルである。

 

アンチェロッティ時代はある程度の約束事を守り、その上で自分の技術を披露していたが、解放者ジダンになってからは、自分のプレーをする事しか考えていないように感じる。特にダイヤモンドのトップ下を任されるようになってからはよりいっそう感じるようになった。

 

これは実に難しい問題である。

 

イスコに「どちらのチームでプレーしている時が楽しい?」と質問すれば、イスコはおそらく「アンチェロッティの頃よりも、ジダンの元でプレーしている今の方が快適にプレーできている」と答えるだろう。

 

しかしマドリーに必要なのは「個性を抑制しつつ、チームのために馬車馬のように走っていたアンチェロッティ時代のイスコ」なのである。

これはどちらが間違っているわけでもなく、どちらも正しいのだ。選手の個性を尊重したジダンと、チームのためにプレースタイルを矯正したアンチェロッティ。そして両監督の指示通りにプレーしているイスコ。誰が悪いわけでもないのだ。全員が正しい。だからこのイスコ問題は非常に難しい。

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チームより大きい存在は無い

 

だが現在マドリーはリーガで3位、CLグループリーグで2位という不名誉な成績に終わっている。

先日のウェンブリーでのトッテナム戦では最低の内容で中堅チームに惨敗とレアルマドリードの歴史に泥を塗る敗戦だったと言える。

そしてその要因として、中盤をダイヤモンドにしたことによる守備の欠陥が挙げられる。それに攻撃面でもチャンス自体が少なすぎる。全てイスコの責任とは言わないが、イスコのトップ下はジダンやグティを観て来た私からすると物足りなすぎる。

 

だがイスコ自体の調子はそれ程悪くない、ゴールも決めているし、彼だけのプレーを見ていれば繊細なボールタッチは健在だし、相手にボールを奪われることはめったに無い。だが「それだけ」なのだ。イスコが好パフォーマンスを披露する事がチームの成績にまったく関与していない事が問題なのだ。それがおそらく見る人によってイスコは「最近良い」「全然駄目」という意見に分かれる原因なのだろう。

 

チーム成績から個のパフォーマンスに逆算して考える人には、イスコのプレーは燃費が悪く見えるだろう。反対に個人の集積としてチーム成績があると考える人には「イスコ最近頑張ってるよね。でもチームがイマイチだよね。」となるのだろう。

 

私はマドリーが勝ち続けることが一番大事だと考えている人間だ。だから私の答えは言うまでもない。

 

そしてマドリーとイスコの未来はジダンの手に委ねられる。ラス・パルマス戦でジダンはイスコのトップ下を止めて、左サイドハーフに移した。これは考え様によっては「降格」とも受け取れる采配である。

奇しくも代表ウィーク開けは敵地でのマドリードダービー。

ジダンはチームを選ぶのか?それとも自分の哲学と愛弟子を選ぶのか?

ここに注目したい。