現時点では和製エド・シーランではなくエドシーランの劣化版
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youtubeの関連動画で知ったのだが、これはビビッた。
使用しているループマシン、演奏スタイル、何から何までエドー・シーランのモノマネである。
ていうかエドの「Little Bird」って曲とほとんど一緒じゃね?(笑)
そして言うまでも無くエドの方がクオリティが高い。ReNのファンには悪いが、エド・シ-ランのファンだったらかなり不快に感じるだろう。かつて岡村靖幸がデビューした時は「和製プリンス」と言われた事もあった。
だが岡村靖幸はデビュー時点ですでに独自のスタイルを見つけ出しており、プリンスの奇抜さを独自の解釈で展開させた音楽をその後発表し続けた。だがReNからは1ミリも独自の解釈が感じられない。私はエド・シーランをデビューした直後から注目してたので、ハッキリ言って驚きを禁じえなかった。
実際コメント欄にも「エドに似すぎ」って書かれている。
笑ったのはファンが「ReNはエドの影響を公言しているから似ているのは当たり前!全く問題なし!」みたいな事言って擁護している事。いやいや公言してれば似てていいって問題じゃないだろ(笑)どんだけ脳内お花畑なんだよ。
「絶対売れる!」「大物が現れた」「世界に通用する!」みたいな事言ってる人もいて、まぁいかに日本のリスナーのレベルが低いかがよくわかる。ハッキリ言ってまだ世に出ていいレベルじゃないだろ、コレ。「まだ未完成なのに誰がデビューさせたんだよ」と思ったら、父親が長渕剛で森進一の息子(ワンオクのTAKA)がプッシュしているとか…。うーむ、ここにも音楽業界の悪しき慣習が…。
日本の音楽業界の悪しき慣習とは
私が言ってる音楽業界の悪しき慣習というのは、日本の音楽業界は「極めてアーティストの育成が下手」という事である。
仮にReNがイギリスやアメリカに生まれていれば、おそらく誰からも見向きもされなかっただろう。エド・シーランは世界にただ一人であり、世界で一人だけがエド・シーランの楽曲を歌えて、一人だけがエド・シーランのスタイルで飯を食う事ができる。実際問題、エドのパクリのようなアーティストは欧米では現れても淘汰されている。
イス取りゲームに例えるなら、ReNはアメリカやイギリスに生まれていれば、今エド・シーランが座っている一つしかないイスに座るためにずっと指を咥えて待っている状態になるだろう。そしてその時は訪れない。永遠にだ。
故にアーティストは苦悩する。「どうすれば自分はイスに座ることが出来るのか?」と考え続ける。そして考えて考え抜いた果てに辿り着くのだ、「自分で自分の座るイスを新しく造るしかない」という事に。これが全ての成功したアーティストが通る道なのである。
だが日本だと事情が違う。リスナーや、育成に携わるレコード会社のレベルが極めて低いため、今のReNのようなモノマネ芸人レベルでもデビュー出来てしまう。彼が2世である事がデビューを後押ししたかは私にはわからない。だが彼に関してはマイナスに働いていると言わざるをえない。未完成な状態でもデビュー出来て、周囲のサポートも得られて、それなりに世間に認知されているわけだから。
今ReNはエド・シーラン製のイスに座っている。問題なのは本人もリスナーもレコード会社もそのイスの座り心地に満足しているという事だ。シーラン本人だってエミネム、ヴァン・モリソン、エリック・クラプトン、ボブ・ディランといった様々なアーティストに影響を受け、今のスタイルに辿り着くまで血の滲む様な努力を必要としたはずだ。
ReNはエドが苦労して発明したフォーマットをパクっているだけに過ぎない。なのに日本のリスナーや音楽業界はそんな粗悪品を「天才だ!」と持て囃す。これでは育つはずだった才能も育つはずもない。ハッキリ言って音楽に関して日本は、コピー商品を垂れ流して市場を破壊し続ける中国とそんなに変わらないのである。(まぁ世界が興味示す事は無いので、市場を破壊はしてないが)
日本の音楽界は才能を育てるためにどうすればいいのか?
じゃあどうするべきなのか?という話になるが、それは音楽業界の人間がひたすら成長を見守り待つ意外にない。私の持論だが、「アーティストがもっとも成長できるのはデビューするまで」だと私は考えている。
ほとんどのアーティストがデビューした後はデビュー前に創り上げたスタイルをベースに活動していく事になる。デビューした後に大きくスタイルを変えたアーティストなど皆無に近い。だから音楽業界の新人育成に携わる人間はそのアーティストの伸びしろを見極めて、成熟した段階でアーティストをデビューさせる事が求められる。
もし成長する前の段階でデビューさせてしまえば、そのアーティストが見つけるはずだった「独自のフォーマット」は闇に葬られる事となる。例えるなら熟れてない果物が市場に並ぶようなものなのだ。当然その果物は誰にも手に取られる事もなく、腐り果てる事になる。
そういう意味では今回のReNは失敗の典型と言える。ReNは未来に見つけるはずだったかもしれない「独自のフォーマット」は周囲の作り出したぬるま湯に溶けて消えてしまった。もし私がレコード会社の新人担当部門にいたら「彼はまだ独自のスタイルを見つける前の段階なので獲得は見送りましょう。もしくは育成契約で成長を見守りましょう。取り敢えずデビューは早計過ぎます。」と進言していただろう。(まぁそれでも他のアホなレコード会社が獲得するのだろうが)
ReNに才能が無いとは言わない。歌唱力もソコソコ(声質にもうちょっと特徴があればいいのだが)だし、コードの上でメロディを遊ばせるセンスも悪くない。だが耳に残るフックのあるメロディーは少ない。このままでは間違いなく大ヒットを出すようなアーティストにはなれないだろう。まぁよくてスマッシュヒットを1、2曲出して終了だろう。
そういう意味では父親の長渕剛の偉大さが良くわかる。今では才能が枯渇し、醜悪なマッチョ親父になってしまった長渕剛だが、彼は吉田拓郎、ボブ・ディランといったアーティストから受けた音楽的影響をブルース・スプリングスティーンなどから受け継いだマッチョイズムと掛け合わせて大衆の評価を得ている。全盛期の楽曲のメロディーには耳に残るフックがあり、今も親しまれている楽曲も多数ある。彼は独自の音楽フォーマットを創り出したと言える。
デビューはゴールではない
ReNにはミュージシャンとして「苦悩」する時間が足りなかった。レーサーとしての挫折はあったのかもしれないが、そんな事は音楽的な成長には何の影響もない事である。彼がトントン拍子で世間にある程度認知された事は彼にとってはマイナスだった。彼を取り巻く環境が彼から「苦悩」する時間を奪い取ってしまったからだ。長い目で見ればそれは彼にとっては不幸な事だった。
彼は「苦悩」する時間を失って、自分が持っていたアーティストとしての成長の伸びしろも失ってしまった。
今から彼が劇的に変化を遂げるのはとても難しい。彼の才能を問題点もひっくるめて評価してくれるようなプロデューサーがいて、「お前ただのエド・シーランのモノマネじゃん。そんなんじゃ通用しないよ?」って言って鍛えてくれるならいいのだが、なかなかそれも難しいように思える。父親の長渕剛が彼に一言アドバイスできるようなら面白いのだが….。誰でもいいから彼が自身を成長させてくれて、頼れる存在に出会える事を願うばかりだ。
日本の音楽業界は今回の出来事は肝に命じるべきなのだが、現時点ではおそらく誰も問題に気付いていないのだろう。おそらくReNに取って代わる新しいアーティストが出てくれば、音楽業界の意識はそっちに行く。
そしてそれをずっと繰り返す。
一番の悪は学ばない日本の音楽業界であり、ReNはその被害の末端に過ぎない。
レコード会社に言いたいのはインパクトのあるデビューよりも、長期的なスパンでの活躍を見据えて新人アーティストを育てて欲しいという事。アーティストの一番大事な作品はその「アーティスト自身のキャリア」である。美しいキャリアを送る事が何よりも重要であり、それに比べればデビュー時の話題性などどうでもいい事である。
今の日本の音楽業界の人間のほとんどは驚く事に、一曲も書いた事のないただの素人がほとんどである。大学を卒業して就職先にレコード会社を選んだだけの人種である。もしくは音楽をやってて売れなかった才能の無い人間達。
デビュー時のインパクトを重視するド素人&無能擁する日本の音楽業界の人間には、今回のReNは有名人の息子であり、元レーサーという独特のキャリア、今や世界一のポップアイコンと言っていいエド・シーランを彷彿とさせるスタイルという事で、魅力的に見えたのは想像に容易い。才能のない人間達がReNのような才能ある人間のキャリアを潰し続けている。このループマシンは早急に取り壊さなければいけない。