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音楽コラム第4回~なぜ「ゆず」は大物感がないのか?

音楽・DTM
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デビュー20周年にも関わらず大物感がないゆず

 

関連記事:音楽コラム第3回~福山雅治はなぜミュージシャンとして評価されないのか?音楽コラム第5回~長渕剛の息子(ReN)のエド・シーラン丸パクリ問題から考える、日本の音楽業界の悪しき慣習とは?

 

ゆずが今年の紅白歌合戦の白組の大トリらしい。正直なんか微妙というか違和感を感じるのは私だけ?

 

今更「栄光の架橋」って(笑)それならアテネ五輪の時にトリで歌わしてあげればいいのに。(ちなみにこのの時の白組のトリは五木ひろし)おそらくトリにふさわしい人材が不足していて、消去法で選ばれたものと思われる。トリにふさわしいという意味ではX JAPANとかの方がラスボス感があって良かったのでは?

 

紅白のトリに選ばれる人って大きく分けると78年の山口百恵や97年の安室奈美恵 のような「その年のMVP的な人」、SMAPや北島三郎のような「国民的スター」、五木ひろしや森進一や高橋真梨子みたいな「単純に歌唱力抜群な人」の3パターンに分けられるのだが、ゆずはこのどれにも該当しない。(岩沢厚治は結構上手いがハモリなので、北川悠仁は…うん、まぁ…。)

 

おそらくNHK的には桑田圭佑と安室奈美恵のトリがベストだったのだろう。それは当然だろう。この2人は前述した3パターンのどの条件も満たしている稀有なアーティストである。そういう意味ではこの2組は真の大物アーティストと言える。

 

対照的にトリを務めるゆずはデビュー20周年にも関わらず大物感が全くない。なんなら「永遠の若手感」すら感じる。デビュー20周年と言えば中々の数字である。ミスチルで言えばアルバム[(an imitation) blood orange]、B’zで言えばアルバム「ACTION」、サザンで言えばアルバム「さくら」ぐらいの時期である。

あくまで例えだがミスチルが「イノセントワールド」、B’zが「ocean」、サザンが「真夏の果実」でデビュー20周年目に紅白の大トリを務めたとしたら、世間はおそらく「今年の紅白スゲェー!!」となっているはず。それに引き換え今年の盛り上がらなさは異常である。

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現在のゆずが持っている手札とは

 

何でゆずはここまで大物感がないのだろうか?それなりにセールスもあるし、世間に認知されてる代表曲もあるし、ライブの動員もソコソコ。

私が考えた末に出てきたのは、彼らの創る音楽にあるのではないか?と思い始めた。

その理由を説明すると、彼らの音楽ルーツは言うまでも無く70年代のフォークミュージックである。彼らが90年代後半に出現した時は「フォークミュージック」はいわゆる死語であった。

その状況を逆手に取って「夏色」で鮮烈なデビューを飾ったのがゆずである。彼らがデビューした後、コブクロのようなアコースティックデュオの出現が筍のように続いた。いわゆる日本のフォークリバイバルの旗手がゆずだったのだ。

 

それに加えて、今では考えられない事だがゆずはデビュー直後はあまりTVに出演しない事で、「神秘性」というプラスアルファ要素も持ち合わせていた。そういう事情もあって90年代後半から2000年代前半のゆずは音楽界でも「特別な存在」だったと言える。

 

ところが今はどうだろう?フォークリバイバルは終わり、ゆずはTVに出演しまくり、北川悠仁にいたっては月9ドラマ出演で棒演技を披露しお茶の間の顰蹙を買い、プラスアルファ要素であった「神秘性」も手放してしまった。よって彼らに残った手札は彼らの創る「ゆずの音楽」のみとなったのだ。

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ゆずの音楽性変遷、失敗したボブ・ディラン化

 

ゆずの音楽の変遷を大きく分けると2つに分類できる。「夏色」から「桜木町」までのフォーク期、「栄光の架橋」から今までのJPOP的なバンドサウンド期。フォークからバンドサウンドという変遷はフォーク界の御大ボブ・ディランと共通する。

 

ボブ・ディランも「Bringing It All Back Home」というアルバムからバンドサウンドを本格的に導入、いわゆる「フォークロック」の先駆けとなった作品である。この作品を発表した時の反響はすさまじいものだったと聞く。

 

1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルで、古いフォーク・ファンから非難を浴びて退場したディランが、アコースティック・ギター一本で再登場し、涙を流しながら過去との決別をこめて「It’s All Over Now, Baby Blue」を歌った。 by wikipedia

 

この時のディランはオールドスタイルのフォークを捨てて、自分の見出した新しいスタイルを選んだ。彼にとっても凄まじい覚悟が篭った作品だった事は容易に想像できる。そして現在では「Bringing It All Back Home」はミュージシャンなら「一家に一枚」と言ってもいい歴史的名作と位置づけられている。

 

それとは反対にゆずにはこの時のディラン程の覚悟があったとは私には思えない。ディランは「何かを得るために何かを捨てた」人生を賭した決断だったが、ゆずが行ったのはただの「以前のファンも維持しつつファン層拡大」というマーケティング的な発想である。

この時の決断とその後の振舞いが、ゆずがイマイチ評価されない原因になっているのではないかと私は考えている。

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後期ゆずの音楽構造

 

単刀直入に言うと、ゆずは今も昔も一貫して歌謡曲・フォークソングを書いている。バンドサウンドを取り入れた後もである。ハッキリ言ってソングライターとしては何の変化も成長もしてない。

 

「栄光の架橋」はもろサイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」だし、最新作の「恋、弾けました。」の「不思議な力気づけば~」の部分のメロディは中村あゆみの「翼の折れたエンジェル」の「もし俺がヒーロだったら~」の部分のパクリである。

 

これは音楽的に非常にマズイ事なのだ。ファッションに例えるとガリガリ・長身でモード系ファッションだった人間が、「筋トレ」もせずにガリガリのままでタンクトップ・レザーパンツのロック系ファッションを着ているようなものである。誰が見ても貧相に映るのは自明の理である。

 

「ファッション(アレンジ)」を変えるなら「体型(楽曲の骨格)」も併せて変えるのは、音楽の定石である。ゆずはこの「筋トレ(作曲家としての努力)」を怠ったのだ。故に彼らの後期の作品はそこまで評価されずにキャリアも頭打ちになっているのだろう。

 

思えば前述したサザンもミスチルもB’zも「洋楽のパクリ」と批判される事もあるが、新しい音楽の要素を自身の血肉と化して楽曲に落とし込んでいる。

例えばミスチルの「DISCOVERY」はRadioheadの「Airbag」の丸パクリだが、桜井和寿がRadioheadを研究した努力は伝わってくる。歌詞も曲に合わせて陰鬱な歌詞になっていて、バンドの新しい一面を見せたいというモチベーションが伝わってくる。

 

だがゆずの作品からはそういうフィーリングは感じない。ゆずは昔も今も一貫してフォーク・歌謡曲を創っている。

そして作詞家としてもまったく成長していない。ずっとJPOP的な根拠の無いポジティブシンキングで凡庸で稚拙な歌詞を書き続けている。2017年発表した新曲「タッタ」では40歳のオッサンが書いたとは思えない、幼稚で薄っぺらい小学生の作文レベルの歌詞が炸裂している。

何なら「駐車場の猫はアクビをしながら~」という独特の情景描写から始まるデビュー曲の「夏色」の方が歌詞としてはクオリティは高い。(小田和正もこの歌詞を評価していた。)

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これからのゆずが歩むべき道とは?

 

例えば新作の「恋、弾けました。」を聴いてみると、アレンジは中々斬新なアレンジになっている。どうやらアレンジはTeddy Loidというエレクトロ系のアレンジャーに依頼しているようだ。

 

アレンジを依頼するのは別にいいのだが、エレクトロ系の作品を創りたくて、エレクトロ系のアレンジャーに依頼するのなら、ゆず自身もエレクトロ系の音楽を研究して、その要素を自身のソングライティングに落とし込むべきだった。

 

「恋、弾けました。」を聴くと、エレクトロ風のアレンジに凡庸なJPOP的なメロディーと歌詞を乗せた居心地の悪い作品になってしまっている。

 

結論を言うと、ゆずは音楽面での構造改革を怠ったまま年齢だけを重ねてしまったので、20年というキャリアに見合う年輪・評価を得られていないのだろう。

 

彼らが今から音楽面での構造改革を行うのは非常に難しいように感じる。

あるとするならば、彼らに本音でぶつかってくれる優秀なプロデューサーに出会うぐらいしかないだろう。

 

かつてColdplayは「X&Y」でバカ売れした後の4枚目のアルバム「Viva la Vida or Death and All His Friends」制作を迎えるにあたって名プロデューサーブライアン・イーノを起用。

 

イーノはColdplayのボーカルであるクリス・マーティンにこう言ったらしい「歌詞が酷い。同じトリックを使い過ぎ。冗長すぎる。」

 

それ以外にも制作中にクリスの十八番であるファルセットを禁止させたりとか、あの手この手を使ってバンドを成長させようと試みてたようだ。(5作目のアルバムのレコーディングの時には、バンドメンバー全員を催眠術にかけた状態でレコーディングさせたという逸話も残っている。)

 

ゆずもColdplayにおけるイーノのような存在に出会えれば、また新たな領域を開拓し、音楽界の重鎮のポジションに辿り着けるのではないだろうか。

ここまで書いてきた事を踏まえると、ゆずが初のトリで歌う「栄光の架橋」は良くも悪くも彼らのキャリアの変遷を象徴する曲と言える。その架橋の先に待っているのは栄光なのかそれとも….。