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音楽コラム第3回~福山雅治はなぜミュージシャンとして評価されないのか?

音楽・DTM
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泣きっ面に蜂状態の福山雅治

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つい最近、車の中で福山雅治のラジオをたまたま聴く機会があった。どうやら福山雅治は男性限定ライブなるものを催しているようで、結婚以降女性ファンが減少していることから新たなファン層を開拓しようと躍起になっているようだ。
だがチケットが売り切れることはないみたいだ。(ラジオで本人も自虐的に話していた)

気になって調べてみると福山雅治の周りが最近騒がしい。しかもネガティブなニュースがほとんど。

インスタを始めたがあまり興味を持たれてないとか、映画・ドラマがコケたとか、同じ事務所の星野源やディーンフジオカにファンが流れているとか、色々と言われたい放題である。

ファンではない私ですら、何だか可哀想になってくる有様である。

結局原因はよく言われてる吹石一恵との結婚なのだろうが、結婚だけでここまで人気が低下した人は今までいなかったのではないだろうか。

木村拓哉がかつて20代に工藤静香と結婚した時も日本中の女性達の悲鳴が聞こえてきたが、それでもここまででは無かった気がする。

現に木村拓哉はsmap解散騒動で株を落とすまでは、それなりに人気を維持し続けていた。

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ファンが求めていたのは「全てが完璧」な福山雅治

福山雅治という男は結局、演技、音楽、ルックス、トークを高いレベルでこなせ、それに加え世の中の女性の理想像を一手に引き受けるチートな存在であるという事が評価されていたのではないか?

つまり彼の発表する音楽、ドラマなどは「チートな存在である福山雅治」による一つの「ファングッズ」だったのだ。

だが結婚したことによって、「世の女性の理想像を引き受ける」という要素を捨ててしまった福山雅治はファンにとってはもうチートな状態ではなく、魅力が無いということなのだろう。

「全てが完璧」という形容詞は福山雅治を賞賛する文句としてよく使われた記憶がある。そう彼は結婚したことによって「全てが完璧」という形容詞を手放さなければいけなかったのだ。

つまり福山雅治がどんなに音楽でいい作品を創ろうが、ドラマでいい演技をしようが、トークがどんなに面白かろうが、「全てが完璧」な福山を求めていたファンにとっては何の意味もないだろう。

そう考えれば彼の状況が一変したのも説明がつく。

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これからの福山雅治

じゃこれから福山雅治がどうするべきか?という話なのだが、今まで通り「全てが完璧」路線では頭打ちだろう。本人次第だが演技が世界的に評価されるとか、音楽で全世代に認知されるような曲を書き上げるなど「特大ホームラン」を放つ以外ないだろう。

自分は作曲家なので、ミュージシャンとしての彼にスポットを当ててみたいと思うのだが、彼にはミュージシャンとして致命的に足りない部分がある。

それは「同業者にインスピーレーションを与える」という事だろう。

みなさんに考えてみて欲しいのだが、ミュージシャンのインタビューで「福山雅治に憧れてミュージシャンになりました」といった旨の発言を聞いたことがあるだろうか?

私は今までそんな事を言うミュージシャンに出会った事が無い。

そう、彼は同業者であるミュージシャン達から憧れられていないのである。原因は彼が「全てが完璧」路線をこれまで突き進んで来た副作用だろう。

桑田圭佑、桜井和寿、小田和正、ユーミン、中島みゆきといったミュージシャンからリスペクトを集める存在は、彼のように多分野に手を出すという事はしなかった。(まぁ映画撮ったりしてる人もいるが、これはギリセーフか)

どんな分野でも「マルチプレイヤー」より「一意専心のスペシャリスト」の方が評価されるのは定石である。彼はこれまで「全てが完璧」であるがためにスペシャリストになることは許されなかった。

だが今は違う。これからは彼は自分の進みたい道を選ぶことが出来る。

なので福山雅治がもう一度特大ホームランを放てば、スペシャリストとして評価されるのではないだろうか。

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作曲家としての福山雅治

福山雅治は作曲家としては非常に評価が難しい。美しいメロディーもあるのだが、どこか味気ない。

彼からはミュージシャンとして辿ってきた道筋が見えないのだ。例えばミスチルだと「U2やエルヴィス・コステロが好きなんだろうなー」というのが作品から聴き取れるのだが、福山雅治にはそれが無いのだ。

ここまで音楽のルーツを匂わせないミュージシャンは珍しい。まるで職業作曲家の曲を聴いているような感覚になるのだ。実際、音楽評論家の近田春夫氏も同じような事を言っていた。それがゴーストライター疑惑などにつながってるのだろう。(本人はラジオでネタにしているが)

ちょくちょく豪快に洋楽をパクったりもしてるのだが(虹とか)、あくまでもメロディーラインを拝借しただけで、影響が血となり肉となっている感じがしない。

例えば永らく世界的バンドで有り続けているU2は、名盤「ヨシュアツリー」の後にストーンローゼズやハッピーマンデーズなどのマンチェスター勢の後輩ミュージシャンからダンサブルな要素を拝借して、「アクトンベイビー」という名盤を発表した。そこにはU2が自分達より若い世代のミュージシャンの音楽を研究し、影響が血となり肉となるまで苦心し続けた、「苦悩の跡」のようなフィーリングが作品から感じられた。

福山雅治にはこういったU2のような苦悩の跡が作品から感じ取れない。そこが同業者達の評価がイマイチ上がらない原因なのかもしれない。

福山雅治が特大ホームラン放つとしたら、彼の全身全霊を賭けて創った苦悩の跡を刻み込んだ作品を発表しなければならない。そしてそれが世間に高いレベルで評価されなければならない。それは簡単なことではない。だが絶対に不可能でもない。

福山雅治は道を選ぶ大きな分岐点に立っていて、これから彼がどんな道を選ぶのか興味深いし、注目したい。