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音楽コラム第11回:吉岡里帆と阿部サダヲが意外に歌上手くてワロタ~音程修正し過ぎ問題

音楽・DTM
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私が間違ってました(笑)

 

関連記事:最近気になった曲をまとめて楽曲レビュー(2018年10月)音楽コラム第10回~ジュリー(沢田研二)のさいたまスーパーアリーナ公演ドタキャン問題について

 

 

以前、楽曲レヴューシン(阿部サダヲ)&ふうか(吉岡里帆)の『体の芯からまだ燃えているんだ』を取り上げた時、

生演奏だったら悲惨な事になるだろう。阿部サダヲと吉岡里帆の歌声がAutotune(ピッチ修正ソフト)で修正し過ぎ(笑)

みたいな事を書いたんだけど…。

 

 

 

ライブで歌っている動画を観たら、意外に上手だった(笑)

 

2人共音源程ではないが、ピッチもまずまず安定している。吉岡里帆ちゃんはAメロの低い音程の部分はちょっとフラットしてるけど。(動画2分~ぐらい)でも全然許容範囲内。ギターも間違えてるけど頑張って弾いているし。

 

スイマセン、私の耳が腐ってました…。

 

 

っていうか、修正してないライブヴァージョンの方が良いと思う。こっちのレコーディングバージョンは手直し過ぎてて、何と言うかリアリティを感じない。

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日本音楽業界に蔓延る音程修正し過ぎ問題

 

歌の音程というのは、どんなに上手い人でも多少は上下に揺れている。

 

例えば同じ「ド」という音でも、「ド♯よりのド」と「シよりのド」では全然聴こえ方は違ってくる。

 

最近話題のジュリーとか、山口百恵とか、ブルース・スプリングスティーンとかは若干音程がフラットしている。

勿論カラオケの採点機などではわからないレベルのフラットで、聴いていてリスナーが気分が悪くなる事はない。

そしてその歌声が楽曲の世界観と相乗効果を生み、唯一無二の名曲が生まれたりする。ベンジー(浅井健一)なんて音程は無茶苦茶だが、あの音程じゃないとあの世界観は表現できない。そういう個性がボカロ(初音ミク)などには出来ない、生歌の魅力だと私は思っている。

 

つまり歌の音程自体が、そのシンガーの「個性・味」になるのだが、このレコーディングバージョンは修正し過ぎてて、その「個性・味」が消えて、無味無臭の作品になってしまっている。実は最近はこういう楽曲が増えている。

 

というのもピッチを修正するのが、歌に無頓着なエンジニアだったりすると、「取り敢えず全部音程ジャストにしとけば良いんでしょ」的な感じで、音程を修正し過ぎて個性を殺しているパターンが多いのだ。

特に口パクアイドル系の楽曲で多い。「お前らこんなにジャストで歌えねぇ~だろ(笑)」と突っ込む事もしばしばだ。まあコイツらの場合どうしようもなく下手だから、修正しなかったらしなかったで問題なのだが(笑)

 

たぶん今回の吉岡里帆と阿部サダヲは、レコーディングのディレクターとかが「俳優の歌だからガッツリ音程修正しとけよ」みたいな感じで取り組んだだろうな。

歌に自信のあるアーティストだと「オレの歌を修正してんじゃね~よカス。舐めてんのか?」って言えるが、この2人は役者だしな。

この曲は初期衝動的なロックンロールを表現してるんだし、2人共そんなに下手じゃないんだから、スタッフの判断ミスだと思うけどね。

 

というわけで長々と言い訳して来たが、吉岡里帆ちゃんと阿部サダヲさんとそのファンの方々、私が間違ってました。スイマセン(笑)